○エッセイ〜健康編


7月24日(月)『白髪』

年齢を感じる段階。

第1段階...アイドル歌手が自分より年下だと気付いた時
第2段階...AV女優が自分より年下だと気付いた時
第3段階...引退したスポーツ選手が自分より年下だと気付いた時
第4段階...知り合いのお父さんが自分より年下だと気付いた時
第5段階...老衰で死んだ人が自分より年下だと気付いた時

私が年齢を感じたのは25歳の頃・・自分の鼻毛に白髪が混じっているのを
発見したときだ。漱石の『猫』の中に クシャミ先生が白髪鼻毛を発見する
シーンがあったので その当時は喜んでいたのだがその後私の白髪鼻毛が
ドンドン増殖してゆくにつれ ちょっと不安になってきた。

私は今のところ髪の毛も薄くなっていないし白髪もほとんどないのに
なぜ鼻毛だけが老化するのだろう? よく頭を使う人は白髪になりやすいと聞くが
私の場合 何をどう使っているのだろう?
・・・謎だ。



2000年8月01日(火) 『デブ脱却』

体重が69.5キロになった。
私の身長は169センチなので BMIで計算すると24.3kg/m2
カテゴリー的には「普通体重」になるのだ。
これでようやくデブ脱却である。

大学時代 私の体重は57キロだった。
しかしこの業界に入ってから体を動かさなくなったのと
食べ物のおいしい札幌に転勤になったことで ドンドン体重が増え
最終的に85キロまで増えてしまったのだ。
プラス28キロである。5キロの米袋でさえ持つのが辛いのに
それを約6個分 身体に積んでいることになるのだ。

また このペースで体重が増えて行くとさらに10年たてば
体重が何と113キロになってしまう。さらに10年で141キロである。
・・・何と恐ろしいことか。

太ることによって見てくれが悪くなるのは我慢できる。
しかしデブも年季が入ってくると身体のあちこちに支障が出てくるのである。
血中脂肪、コレステロール、γ−GTP、尿酸値・・・
健康診断の度に 要注意と書かれた紙をもらってしまうようになる。
このままいくと生活習慣病まっしぐらだ。

この生活習慣病という言葉も昔は成人病と呼ばれていた。
しかし子供の糖尿病などが増えたことによって 呼び名が改められた。
考えたらこれも恐ろしい話である。永く使われていた言葉が変わってしまうほど
不健康の若年化が進んでいるのである。

85キロになった私は さすがにこのままではいけないと思いウォーキングを始めた。
会社まで約20分の道のりを歩くようにしたのである。
歩数計機能付きゲームの企画書を書き 商品化されたのはこのころの話だ。
会社の金を使って自分用のダイエットグッズを作ってもらえたのだから幸せな話だ。
この「てくてく効果」によって私は9キロ痩せることが出来た。
85キロ−9キロ=76キロである。

しかしこの話には続きがある。
その後会社を辞めた私は 毎朝のウォーキングをやめ車で通勤することになった。
すると途端に体重が増え始め結局80キロまで太ってしまったのだ。
これはやばいと気付き 再びウォーキングを復活させた。
新しい会社は歩いて約30分の距離だ。これに加えて昼飯を食べないことにした。
昼食を取らないと余計に太るという人もいるが
私はこの方法で体重を75キロまで落とすことが出来た。

ただこの75キロというのが私にとって壁だったようだ。
その後 いくら歩いても体重が減らない。
仕方なく週末断食というのをやってみた。
週末断食というのはこんな感じだ。

金曜日
夕飯を早めに いつもよりやや少な目に取る。
土曜日
昼過ぎまで寝ている。その後昼食にリンゴを1個食べる。
夕食まで食べ物はひたすら我慢。その分お茶などを大量に飲む。
夕食もリンゴ1個。なるべく水分を多く取ることを心がけながら就寝。
日曜日
また昼過ぎまで寝る。昼食は少量のお粥。これは復食と言うそうだ。
ここでドカ食いするとリバウンドがあるらしいので夕食まで我慢。
夕食は普段よりやや少な目に・・以後は通常通りの食事料に戻す。

これをやると私の場合 確実に体重が1キロ減る。しかも減った体重が
元に戻ることはない。2週間に1度のペースで続けたことによって
体重は5.5キロ減った。
75キロ−5.5キロ=69.5キロである。
最大に太っていたときから比べると15.5キロ痩せたことになる。

やってみるとわかるのだがダイエットには不思議な充実感がある。
努力した分 結果がダイレクトに反映されるので楽しい。
昔はいていたGパンが どんどんブカブカになって行く・・
毎日体重計に乗るのが楽しみになって来る・・

身長から計算すると私の理想体重は62.8キロなのだそうだ。
そこまで体重を落としたら 36、35、34、33、32・・と
順番にサイズの揃ったGパンを処分してしまおうと思っている。
これからは身体にGパンのサイズを合わせるのではなく
Gパンに体のサイズを合わせるのだ。

理想体重まであと6.7キロである。



2000年8月09日(水)『タバコ・パージ』

日本のタバコには「あなたの健康を損なうおそれがありますので
吸いすぎに注意しましょう」と警告文が書かれている。これが国際的に不評らしい。
「何の意味もない」とアメリカの消費者団体に0点を付けられてしまった。
逆に評価されたのはイタリアの「タバコで死ぬ確率は交通事故の4倍である(5点)」や
オーストラリアの「喫煙は人を殺す(7点)」、タイの「喫煙は性的不能に繋がる
(8点)」などである。またカナダでは来年からパッケージ正面にガンに冒された人の
肺のカラー写真を半分以上のスペースを使って表示するという。
(週刊文春8月10日号「読むクスリ」より)

・・・このアメリカの消費者団体というのは何者なのだろう?
きっとこの人たちは禁酒法ならぬ禁煙法を望んでいるに違いない。

カナダの「パッケージ正面に肺ガンの写真」というのも凄い話だ。
タバコのパッケージを考える人は今後、この写真がレイアウトされることを前提に
デザインをしなければならない。
肺ガン写真と並んでも違和感のない図柄と言えばドクロとか毒蜘蛛のような
ダークサイド系のものだろう。パッケージも黒が良い。
そうなると名前もそれらしく変えなくてはイメージが統一できない。

日本で言えば「Hi Lite」という銘柄は「Hi Gun(ハイガン)」に
「Hope」は「No Hope」に「Seven Star」は「Seven Disaster(ディザスター=災厄)」
に変更したいところだ。
・・・なんだかどんどんアナーキーになって行く。

喫煙者は今よりももっと日陰者になるのだろう。
自己管理が出来ないヤツということで就職も出来ず、出世の道も閉ざされ
レストランにも入れずトイレも別・・・
「煙人(えんじん)」と呼ばれ人間以下の生物として扱われるのだ。

喫煙が表現されている映画や文学も規制されるかもしれない。
映画「カサブランカ」の喫煙シーンにはモザイクがかかり
スタンダードの名曲「煙が目にしみる」は放送禁止になり
全ての活字メディアでタバコの3文字は伏せ字になる。

例文:彼女はおいしそうに●●●を吸った。

こんな世の中になっても私はまだタバコを吸っているのだろうか?



2000年9月04日(月)『Gパン』

体重が67.8キロになった。
8月の頭に69.5キロだったので約1ヶ月で約1.7キロ減ったことになる。
・・さすがに太っていた頃と比べると体重の減り方が遅い。
しかし急激に痩せてもその後リバウンドしてしまっては意味がないので
焦らずに理想体重(62.8キロ)まで減らしていこうと思う。

ゴールデンウィークの頃にはいていたGパンのサイズは36だった。
体重が減るにつれ、それが35、34、33、32と順調に小さくなっていったのだが
32のGパンが緩くなってしまうと、それより小さいサイズのものを持っていない。
新しいのを買わなきゃいけないのかと思っていたら実は妻のGパンがはけることに気付いた。
サイズは29。妻が太っていた頃にはいていたものらしい。
(妻も私と一緒にダイエットしていて最大体重よりも10キロ以上減っている。)

Gパンのサイズはメーカーによって違うらしいので単純に「サイズが7減った」とは
言えないと思うが、試しに36のGパンをはいてみたらチャックを降ろした状態でも
脱ぐことが出来た。こういう「痩せた実感」があると励みになっていい。
(今ATOK13に警告されたのだが「チャック」というのは固有の商品名らしい。
「ジッパー」や「ファスナー」なら問題ないそうだ。)

家庭内でGパンのリサイクルが出来て非常に経済的ではあるのだが
その後も「もうちょっと痩せたらはける」というGパンがたくさん出てきた。
そう言うのに限って色落ちしていない新品同様だったりする。
・・・また目標が増えてしまった。



2000年9月08日(金)『アレルギー』

アレルギーという言葉が一般化したのはいつぐらいなのだろう?
辞書を調べると1906年にオーストリアの小児科医が命名したと書いてある。
しかし私が子供の頃、花粉症のようなアレルギー性鼻炎やアトピーのような
アレルギー性皮膚炎に悩んでいる大人は今よりずっと少なかったように思える。

・・・ひょっとして人間が弱くなってしまったのだろうか?
人間が弱くなったことで、スギ花粉のような今まで何でもなかったものが
急に毒になってしまったのだろうか?
だとしたら、今後もっと新しい病気が出てくるのだろうか?

ちなみに私はエビカニアレルギーだ。
甘エビなどは食べて美味しいと感じるのだが、その後に口がかゆくなったり
唇がぷくっと膨れたり、ひどいときはジンマシンが出る。

よく「せっかく北海道に住んでいるのにエビとカニが食べられなくてもったいないね」
と言われることがある。確かに接待などで「北の味覚フルコース」が出てきたときなどは
ちょっと損した気分になるがどんなに高級で美味しくても私にとっては毒なので仕方がない。

外食するときにいつも思うのだが、こういうアレルゲンになりやすい食品は
メニューにちゃんと書いておいて欲しい。
エビやカニは形を変えて、例えば餃子などにも入っていることがある。
そういうのをわからないで食べて酷い思いをしたことが何度かあるのだ。

ただ、こんなに敏感にエビカニに反応する私なのに
なぜか「かっぱえびせん」だけは問題なく食べられる。
ひょっとしてエビが入ってないアレルギーの秘密を解き明かす凄い成分でも
入っているのだろうか?
・・・誰か研究して欲しい。



9月09日(土)『プラシーボ』

小学生の頃 遠足でバスに酔いやすい友達がいたので
「これすごく良く効く酔い止めのクスリだよ。
おじさんが薬剤師やって特別に手に入れたんだ」
と言って頭痛薬のバファリンを飲ませたことがある。
(今考えたらずいぶん危険なことをしてしまった・・)

遠足の帰り、その友達がやって来て
「あのクスリ、すごくよく効いたよ! なんて名前のクスリ?」
と喜んでくれた。まさか本当のことを言うわけにも行かないので
「病院のクスリだから名前なんてないよ」
と言って誤魔化した。

・・・バファリンの半分は「優しさ」で出来ているらしいが
残りの半分はひょっとしたら「酔い止め」なのかもしれない。

当時の私はプラシーボ(偽薬)という言葉なんて知らなかったが
どこかで「暗示でバス酔いは治る」と聞いていて
それであんな悪戯をしたのだと思う。

このことに限らず暗示というのは不思議だ。
以前テレビで見たのだが花粉症の人はスギ花粉が舞っている映像を見ただけで
目がかゆくなったり、鼻水が出たりするそうだ。

そう言えば私も子供の頃、汗が冷えたりすると変な咳が止まらなくなって
よく苦しい思いをしていた。それだけでなく、テレビのコントなどで埃が舞っている
映像を見ただけで同じ咳が出続けたりした。

聞いた話では催眠術をかけた状態で
「さぁこれからあなたの腕に焼け火箸を押しつけますよぉ!」
と言うと被験者の腕に本当に水膨れが出来るそうだ。

このことは私のエビカニアレルギーにも関係しているかもしれない。
エビやカニの成分でジンマシンが出来るのではなく
「あー! エビ食べちゃった! またきっとジンマシン出来るぞー」
という自己暗示によって本当にジンマシンができる。
・・・こう考えると昨日の日記に書いた「カッパえびせんは平気」
ということの説明も付く。カッパえびせん自体はちゃんとエビの入ったお菓子なのだが
私の「カッパえびせんは平気」という自己暗示によってアレルギー反応が
起らないでいるのかもしれない。

昨日の日記では「わからないで食べても出来る」と断言してしまったが
これも食べながら心の片隅に「あれ? ・・・ひょっとして・・」という気持ちがあって
それで酷い思いをしているのかもしれない。

私は医学の知識が全くないので不用意なことは言えないが
これはひょっとして「病は気から」ということなのだろうか?

と、ここまで書いて更新しようとしたら釧路のSさんからメール。
『「かっぱえびせん」に入ってるはずの、「桜エビ」と言うものでは、
エビ、カニ、アレルギーが出にくいんだ、となんかの本に書いてあった。』とのこと。

・・・あっさり謎が解けてしまった。(Sさんありがとう!)



9月10日(日)『ダイエットビル』

ダイエットの専門施設があったら繁盛するのではないだろうか?
スポーツジムほどスポーツをせず、エステほど美容にこだわらず
その中間・・ダイエットしたい人だけのために考えられた施設。
これはまだ出来ていないのではないだろうか?

ちょっと考えてみる。
まず1階はダイエット食専門のレストランがある。
野菜を中心とした低カロリーでしかもおいしい食事が食べられる。
値段も安く設定し、毎日でも通えるようにする。
その隣にはダイエットグッズの専門店がある。
効果の実証された運動器具や食品、書籍などが充実している。

2階は相談窓口。ここから上は会員専用のフロアーだ。
その人その人のライフサイクルに応じたダイエットの方法を
専門家が親身になって考えてくれる。定期的な健康診断もここで行う。
また、ここで推奨する専用の食事メニューを会員に限り1階のレストランで
注文することが出来る。

3階はジム。筋力を付けることが目的ではないためウォーキングマシーンのような
有酸素運動器具が充実している。それぞれが個室になっていて好きな音楽を聴いたり
テレビ番組を見ながらトレーニングすることが出来るのも特徴だ。

4階はプール。ここも泳ぎがうまくなることが目的ではないので
水中ウォーキングなどに特化した設計がなされている。
その隣にはサウナ付きの大浴場があるため3階のジムで流した汗も洗い流すことが出来る。

5階はサロン。会員の交流の場になっている。
書籍やビデオなどのライブラリーも無料で貸し出されていて、ここで借りたビデオを
見ながら3階の個室ウォーキングマシーンを使うことも出来る。

・・・こんな施設があったら、結構儲かりそうな気がするのだが・・・



2000年9月25日(月)『カロリー』

体重が66.8キロになった。理想体重まであと4キロ!
・・こうして何度も体重の報告をしているのは自分にプレッシャーをかけるためだ。
公表して自分を追い込んで、それ以上体重が増えないようにする。
私の場合気を抜いてしまうとまたドンと太るので注意が必要なのだ。

ダイエットをしていて感じるのは、結局痩せるためには消費カロリーを増やすか
摂取カロリーを減らすしか道はないということだ。
楽して簡単に痩せる方法は今のところ無い。

前の日記にも書いたが、摂取カロリーを減らすため私は昼食を抜いている。
ただ最近読んだ週刊誌で医学博士の人がこう言っていた。
「同じカロリーを摂取する場合、一日の食事の回数を多くした方が体に脂肪が付きにくい。」
つまりちゃんと朝昼晩と食事をした方がダイエットには良いのだそうだ。

しかし「同じカロリーを摂取する場合」というのが曲者だ。
私の場合、3度の食事をしてしまうと、どうしても毎回きちんと食べてしまう。
特に食べ物を残すことにものすごく抵抗があるため、外食をした場合に困る。
だったら昼食は「なかったこと」にした方が精神的にも楽だし経済的にも楽だ。

また別の本を読むと、今度は違うお医者さんが「朝食抜きダイエット」を提唱していたりする。
結局何が「医学的に」正しいのかよく解らない感じだ。

私の場合、今のところ無理なく痩せているので、もうしばらくこの方法を続けてみようと思う。



2000年9月27日(水)『肉体改造』

突然だが、禁煙することにした。
ダイエットに続く肉体改造計画第2弾である。

なぜ急に禁煙を始めたのかと言えば、理由は色々ある。
8月09日の日記『タバコ・パージ』を書いたあたりから何となく「やめようかな」とは思っていた。
タバコが体に良くないことは分かり切っている。タバコの箱にだってそう書いてある。
それにも関わらず、やめられない自分の意志の弱さが情けなく感じられたのだ。

10年間、痩せよう痩せようと思いながらも増え続けていた体重・・・
それをこの半年で一気に減らすことが出来た。このことも自信に繋がっている。
この調子で行けば・・禁煙も簡単に出来るかも・・・
そんな風に思っていたら妻が「禁煙に効果のあるフラワーエッセンス」を買ってきた。

・・・きっとこういう時が禁煙に一番いいタイミングなのだ。
そう思って本屋に行き、禁煙に関する本を買って読み終えたのが夜中の3時。
それ以来、タバコは一本も吸っていない。(・・・今のところ・・)

禁煙すると経済的にも楽になる。
ついこの間まで私は1日にマイルドセブン2箱を吸っていた。
これだけで250円×2箱=500円かかっている。
これが1ヶ月だと500円×30日=1万5000円。
1年だと1万5000円×12ヶ月=18万円になる。

私は1万円札18枚をライターで燃やし
その見返りとして「さらに不健康」になっていたのだ。

もう少し計算してみる。これを10年間続けると180万円になる。
ただ、この間ずっとタバコの値段が据え置きだとは考えにくいので
恐らく200万は軽く越えるのだろう。

新品の乗用車にガソリンを撒いてライターで火を付け
その爆発に巻き込まれて入院してしまったような馬鹿馬鹿しさだ。

だいたいタバコの値段のほとんどが税金で、前回の値上げにしたって
確か旧国鉄の負債を補填するための財源になっていたはずだ。
それなのに私を含めた喫煙者は特に不買運動もせず、値上げしたタバコを
それこそ黙々と(駄洒落ではない)買い続けているのだ。

チェーンスモーカーの「チェーン」は間断なくタバコを吸い続けている状態を指すらしいが
本当は「足に取り付けられた奴隷の鎖」を暗示しているのではないだろうか?

・・・と言うことで禁煙生活第1日目は無事終了。
果たして私は本当にタバコをやめられるのだろうか?



2000年9月28日(木)『コールド・ターキー』

禁煙生活2日目。今のところ問題なく続けられている。
行為としての「禁煙」は拍子抜けするくらい簡単だ。
ただ単に次のタバコを吸わなければいいのだ。

しかし、その簡単なことが簡単に出来ないから困る。
時々どうしても「吸いたい気持ち」が盛り上がってしまうのだ。
習慣として身に付いているものなので、朝起きれば吸いたくなり
仕事が一段落すれば吸いたくなり、メールが来れば吸いたくなる。
集中している時吸いたくなり、集中が途切れると吸いたくなる。
笑った時、腹を立てた時、悲しい時、楽しい時・・・
スイッチが入る「きっかけ」は生活のどこにでも潜んでいるのだ。

吸いたいのに吸えない自分について考える時
なんだか「海の底に沈んでるような息苦しさ」を感じてしまう。
気持ちも落ち着かず、普段よりもイライラしている自覚がある。

しかし! そんなことではいけないのだ!
私は自分自身の意志によって「禁煙」を始めたのだ。

今は出口のないトンネルに入り込んだように感じられるが
時間がたつにつれ、身体からニコチンが消えてゆく・・
1週間も過ぎれば、後はどんどん楽になるはずだ。

ジョン・レノンの曲に「コールド・ターキー」というものがある。
直訳すると『冷たい七面鳥』。これは麻薬の禁断症状を意味するスラングなのだそうだ。

I wish I was baby.(赤ん坊だったら良かったのに・・)
I wish I was die.(死んじゃえば良かったのに・・)
Cold Turkey has got me on a run.(コールド・ターキーが追いかけてくるよ)

こうして合法的かつお気軽にヘロイン中毒気分を味わえるのだとしたら
禁煙もまたいいものなのかもしれない。



2000年9月29日(金)『カムアウト』

禁煙生活3日目。よゆーだ。
ただ時々、口のないヤカンみたいな気分になって来る。
タキシードのズボンの下、実はノーパンでいるような不安感を
今回は水をガブガブ飲むことでやり過ごした。
小型のペットボトル4本。・・・ちょっと飲み過ぎだったかもしれない。

今日会社の人たちに、自分が禁煙していることをカムアウトした。
一番目立った反応は「何で?」というもの。
確かに私自身、なぜ急に禁煙を思い立ったのか実はよくわからない。

病気になったわけでもないし
誰かに勧められたわけでもない。
思いつく理由は全て後付で、まず先に「禁煙したい気持ち」があったように思える。

これは勘なのだが・・近い将来、禁煙がブームになるのではないだろうか?
私は結構、こういう「流れ」を掴むのが上手いのだ。



2000年9月30日(土)『ヴァーチャルスモーキング』

禁煙生活4日目・・・困ったことにまだ吸いたい。
仕事も普段より集中できない感じだ。

あれから禁煙について色々調べたのだが
この「吸いたい気持ち」はだいたい1週間ぐらいで軽くなると書いてあった。
週明けぐらいには楽になっているはずだ。

思えば20歳から吸い始めて(?)、35歳までの約15年間(+α)
切れ目無くタバコを吸い続けてきたわけだから1週間我慢するくらい何でもない。
あと3日我慢すればいいのだ。あと3日・・・

今日は映画「戦場のメリークリスマス」でデビッド・ボウイがやったように
タバコを吸うマネをしてみた。
パッケージを開け、箱を指でとんとんと叩いて1本出す。
それを口にくわえてから火を付ける。

すぅうーーーーーーーーっと息を深く吸って
ゆっくりと吐き出す。
ふぅーーーーーーーーーー

すぅうーーーーーーーーっ、ふぅーーーーーーーーーー
不思議なことにこれだけでかなり気持ちが落ち着く。



2000年10月01日(日) 『解禁日』

禁煙生活5日目。今日は車で小樽に行った。
昼食はマイカル小樽の中にあるヒルトンホテルのビッフェ。
ウェイターが「おタバコはお吸いになられますか?」と聞いてきたので
私は「いえ。吸いません。」と答える。
・・・実はこの台詞、生まれて初めて言ったかもしれない。

案内されて気付いたのだがこのレストランはどうも禁煙席の方が眺めがいい。
喫煙席は奥の方に、ひっそりと設置されているように思えた。
食事はイタリアンと中華。おいしかったし種類も多かったので
2000円のモトは取れたと思う。でもちょっと食べ過ぎた。

その後、ベネチア美術館のあたりにある「北のアイス屋さん」に行く。
梅ぼしアイス、うにアイス、豆腐アイス、いかすみアイスなどのゲテモノ系アイスが売られていた。
こういうものを見逃せない私はその中でも一番挑戦的な「納豆アイス」を食べてみる。
・・・ちゃんと納豆の味がするにも関わらず、結構おいしかった。
豆の感じがナッツ入りという雰囲気だったので違和感無く食べられた。

小樽運河工藝館、喫茶エンゼルなどの「北へ。」スポットを回った後
夕食は伊勢鮨。おみやげに「なると」の若鶏からあげ・・・と、食べてばっかりだ。

ただ、ダイエットを長続きさせるコツとして、時々こういう「解禁日」を設けることも必要だと思う。
ずっと我慢しているとストレスが貯まってしまい、かえって良くないのだ。

しかし禁煙はそうはいかない。ただひたすら我慢する。
1本でも吸ってしまうと全てが台無しになる・・・というのは大げさかもしれないが
少なくともそれくらいの意気込みが必要だ。

「吸いたい星人」の攻撃はだいぶおさまってきた。
しかし時々、忘れた頃に現れる。混んだ駐車場、食後のコーヒー、買い物の待ち時間・・・
ニヤニヤ笑いながら「そろそろ一本吸ったらどう? 禁煙なんて意味無いよ。」と誘惑して来る。
・・・しかし、ここで負けるわけにはいかないのだ。



2000年10月02日(月) 『喫煙の煩わしさ』

禁煙生活6日目。最初の頃の「吸いたい指数」を100とすると、今は5ぐらいになっている。
先週は正直、続けられるのかどうか自分でも半信半疑だったが今は自信がある。
ただ物の本によると禁煙開始から3週間ぐらいまでが危険な時期らしいのでまだ気を抜けない。

最近、なぜ急に自分が禁煙したくなったのかについて考えることがある。
前の日記にも書いたように決定的な理由は見つからないのだが
小さな理由のひとつとして「喫煙の煩わしさ」があるように思える。

人は黙っていても食欲や睡眠欲があり、便意があり尿意がある。
それだけでも充分に煩わしいのに、喫煙者には「ニコチンタイマー」がついていて
切れると大変なことになるのだ。しかし最近、ニコチン補給の場が減っている。
これからずっと、イライラしながら灰皿を探す人生を送るより
1週間のイライラを我慢して、タバコに煩わされない一生を送りたいと思ったのだ。

金がない学生時代、食事を我慢してまで買った安い銘柄のタバコ・・・
家の灰皿の中からまだ吸えそうな「シケモク」を探し、吸っていたこと・・
深夜、雨が降っているのに近くの自販機までタバコを買いに行ったこと・・
買ったばかりのシャツにタバコの焼けこげを作ってしまい処分したこと・・
国際線の飛行機の中、イライラしながら10時間以上も座っていたこと・・
綺麗な景色に感動しながらも、次の瞬間には灰皿を探していること・・
子供のいる家に遊びに行った時、その家のお父さんがタバコを吸っているのを見て
安心して自分も吸い始めたこと・・

タバコをやめたら、こういう嫌な自分と別れることが出来る。



2000年10月03日(火) 『喫煙マナー』

禁煙生活7日目。そろそろタバコを吸わない生活に慣れてきた。
「吸いたい指数」もゼロに近い。非常に順調だ。

正直、ここまで続けられるとは思ってもいなかった。
以前の私は「タバコが吸えないストレスを一生抱えて長生きするより
好きなタバコを吸いながら肺ガンで死んだ方がマシ」と思っていた。
しかしこの考えには大きな認識違いがあったようだ。
1週間もすれば「タバコが吸えないストレス」は消えるのだ。

自分がタバコをやめたせいもあって最近、他人の喫煙マナーがやけに気になる。
昨日も運転中の車の窓を開けて、そこから火のついたタバコを捨てていた若者を見て
腹を立ててしまった。道路を灰皿代わりにしてはいけない。

タバコを吸っていた頃、私は絶対に吸い殻を道に捨てないようにしていた。
灰皿のない場所で吸うことは滅多になかったし、あっても吸い殻はきちんと持ち帰った。
自分ではこれを喫煙のマナーだと思っていたのだが、そういうマナーも結局は
喫煙者の言い訳に過ぎないと思えてきた。

屋久島あたりの見事な原生林の中、タバコを吸っている真田広之が
「私は捨てない」と言っているJTのCMを覚えているだろうか?
あれなどは捨てない自分のマナーの良さを誇るより
そんな場所でタバコを吸ってしまう自分を恥じるべきだと思う。

私だって人のことは言えない。
タバコが嫌いな人の前でも「まぁいいや」と思って吸ったこともあるし
声優や歌手など、声の仕事をしている人の前で無遠慮にスパスパしていたこともある。

マナーは守って当然だが、守れば吸ってもOKなのかと聞かれれば
そうでもなさそうな気がする。そう言ういろんな事を気にしながら吸い続けるよりも
すぱっとタバコをやめてしまった方がずっと楽だ。



2000年10月04日(水)『タバコ嫌い』

禁煙生活8日目。吸いたい気持ちが復活気味でちょっと危険な兆候。
水を飲んだり深呼吸をしたりして誤魔化す。

体重は1キロ落ちて65.8キロになった。
理想体重まであと3キロ! ダイエットと禁煙は両立できるようだ。

タバコに関してはとりあえずこの禁煙生活のカウントが10日目になったら
『完全禁煙宣言』をして、ずっと続いてきたタバコの話題も一段落させようと思っている。

今日はタバコ嫌いについて考えてみた。
よくタバコをやめた途端、極端なタバコ嫌いになる人がいる。
確かに禁煙中、あまり周囲でぷかぷかされるといい気分ではないし
タバコをやめるために仕入れた知識が多ければ多いほど
喫煙者が非喫煙者に与える「害」について詳しくなっていてもおかしくない。

ただ1週間前は喫煙者だった自分としては、そんなに急に過去の自分を
全否定するような事はしたくないと思う。
吸う人には吸う人の色んな理由があるし、事情があるのだ。

先ほどタバコ嫌いな人のホームページを見たら
「喫煙者はマナーが悪いから一刻も早く全員肺ガンで死んで欲しい」
というようなことが書いてあって嫌な気分になった。
こんな事を公共の場に平気で書き込みできてしまう人の方がよっぽどマナーが悪い。

少なくとも私はこれから「タバコを嫌わない非喫煙者」になろうと思う。
世間のタバコ・パージが煩わしくてタバコをやめた人間が
逆に喫煙者をパージするようなことがあってはならないと思うのだ。



2000年10月05日(木)『タバコの利点』

禁煙生活9日目。今日はタバコの利点について考えてみる。

「実はタバコって体にいいんです。・・厚生省は隠してますけどね。
その証拠に、タバコを吸ってる人って花粉症にならないんですよ。」
何年か前、こういう主張をする人と会った。
その時は黙っていたが、私は花粉症に悩む喫煙者を少なくとも3人は知っているし
そもそもなぜ厚生省がタバコのメリットを隠すのかよくわからない。

「喫煙がガンの原因になると言うなら、子供の頃からタバコを吸う習慣のある
パプア・ニューギニアのガン発生率が低いのはなぜです?
結局タバコとガンの因果関係って、まだはっきりしていないんじゃないですか?」

・・これは私が自分の喫煙を正当化するために言っていた説。
遠い国の例外を根拠にするより、自分の住んでいる国の医者の話を聞いた方が
よっぽど素直だと今は思う。

「タバコを吸うとリラックスできる」
・・これは確かだ。ただ同じ効果は深呼吸でも得ることが出来る。
タバコを吸えないときのイライラがある分、リラックスという意味では
喫煙者の方が不利な感じがする。

「コミュニケーションのきっかけになる」
・・今まではそういう事もあったが、今後この調子でタバコ・パージが進んだら
タバコがきっかけでコミュニケーションが壊れることの方が多くなりそうだ。

いろいろ考えたが、結局タバコを吸う積極的な理由は見つからなかった。
ただ今後、タバコに何らかのメリットがあることが判明し
それがタバコを吸うことで被るデメリットよりもずっと大きいことがわかったら
その時は、またタバコを吸えばいいだけのことだ。
喫煙者に戻るのなんて5分で出来る。

明日は出張のため、更新はお休み。
タバコ無しの出張は生涯初なのでちょっと緊張する。



2000年10月06日(金)『完全禁煙宣言』

禁煙生活もついに10日目となった。今日は東京出張の日。
タバコを吸わない状態で出張するのは初めてなので実はちょっと心配だった。

まずは飛行機。機内は禁煙だが、その分飛行機を降りた後の一服が習慣になっている。
ここは無事切り抜けた。同行した人たちの煙も全然気にならない。

次に会議。これは気が重かった。
わざわざ飛行機に乗ってまで会議をするということは
それなりに「解決すべき問題」があるわけで、それ自体は仕方がないのだが
このプロジェクトに関しては始まる前から問題が多すぎる気がする。
「この人たちはひょっとして、私の禁煙を阻止するために現れたボスキャラなのか?」
と思った瞬間が何度かあった。

次に会食。会議のストレスがたまりまくっている感じだったので
ここでも無性にタバコが吸いたかった。

それでも何とか我慢してホテルに戻る。
結構広い部屋だった。あちこちに灰皿がおいてある。もう使わない灰皿が・・・

テレビを見て「あとは寝るだけ」の状況になった時
またタバコが吸いたくなった。やばい。・・・でも吸いたい・・・

気が付くと財布を持って部屋を出て、向かいのコンビニへ・・
・・・お茶も缶コーヒーも買ってあるのに、私は何を買おうというのだろう?
ひょっとして・・タバコ?
その時、同行していた後輩のY君とすれ違い、ハッとする。
ありがとうY君。おかげで思いとどまることが出来た。

ということで、まだまだ前途多難な感じではあるが
とりあえずこの場で完全禁煙宣言をすることにする。



2000年10月11日(水)『昔の恋愛』

禁煙してから2週間が過ぎた。
こうしてつい禁煙期間を数えてしまうのは
まだタバコに未練がある証拠なのかもしれない。

体の中にあるニコチンは3日もたつとほぼ消え
2週間たつと完全に出てゆくのだそうだ。
あとは「吸っていた頃の記憶」との戦いである。

タバコをやめた「喪失感」はよく昔の恋愛に例えられる。
何かにつけて付き合っていた頃の記憶が思い出され
「でもあいつ・・もうこの部屋にいないんだよな・・」
と我に返ったときの寂しさ・・

タバコと恋愛が違うのはヨリを戻そうと思えばいつでも戻せることだろう。
自販機にお金を入れるだけで、あるいは喫煙者に「ちょっと1本」と言うだけで
簡単に元のさやに収まってしまうのだ。

自分のタバコに対する恋愛感情は、もうだいぶ薄れている。
時々小さな波が来るが、なんとか無視できるレベルになってきた。
これが1ヶ月もすると吸いたい気持ちはほとんどゼロになるらしい。
・・・もう少しだ。



2000年10月26日(木)『ごほうび』

体重が65キロになった。
10月4日に65.8キロだったので800グラム減ったことになる。
・・・やはり最近は減り具合が少ない。
ただ、これまでに20キロ以上痩せたことを考えれば
理想体重までの残り2.2キロという数字は本当に「あとちょっと」だ。
無理せず、焦らずに続けていこうと思う。

禁煙も今日で1ヶ月を達成!
もうタバコ無しでも何の問題もなく生活できるし
やめたときの苦労を考えたらまた吸う気にはなれない。

何かに書いてあったのだがタバコをやめて2ヶ月ぐらいたつと
味覚が敏感になるのだそうだ。
多くの人はご飯や、パン、蕎麦などの基本的な食べ物のおいしさを再認識し
感激すると書いてあった。これを「禁煙のごほうび」と呼ぶ人もいる。

まぁ、おいしく感じると言ってもタバコを吸わない人にとっては
その状態が当たり前なわけで、「ごほうび」と呼ぶほど大げさなものでは
ないのかもしれない。ただ、もらえるものはもらわないと損だ。

私の場合、今でも充分においしく食べているのだが
1ヶ月後、これがさらにパワーアップするのだろうか?
・・・ちょっと楽しみだったりする。



2000年11月06日(月)『タバコの影響』

禁煙を始めてから約40日が経った。
そのせいか最近、急に空腹感が強くなった気がする。
禁煙本を読むと「体が健康になっているため食欲が向上する」
と書いてあった。しかしダイエット中なのでつらい。
実際、体重が65キロから減っていない。
タバコをやめた人が急に太り出すのもわかる気がする。
・・・気をつけないといけない。

それと、便秘がちになった気がする。
今までは朝の挨拶のように簡単に済ませていたのだが
最近は気が付くと2日ぐらいためていたりする。

タバコを吸いたい気持ちはほとんどない。
ただ時々「あー、あのおじさんうまそうにタバコ吸ってるなぁ・・」と羨ましくなることはある。
しかしタバコを吸っていた頃、私は禁煙に成功した人を羨ましく思っていた。

タバコの禁断症状に苦しんでいた頃、仕事の集中力は著しく低下していた。
その集中力もまだ完全には回復していないように思える。
イライラもまだ完全にはおさまっていないようだ。

・・・タバコの影響から完全に抜けきるためには、まだまだ時間がかかるようだ。



2000年11月09日(木)『大問題』

額の右上、生え際の手前あたりに一本の黒い毛が生えていた。
いや・・ひょっとしたらこの部分は本来、頭皮だった部分で
生え際が後退したことによって一本だけ取り残されたものなのかもしれない。

生えたのか・・・
それとも取り残されたのか・・・
たった一本の髪の毛なのだが
私にとっては、これが結構大問題なのだ。



2000年11月13日(月)『シャンプー』

お客さんと飲みに行く。
2件目のスナックにいたホステスさんが昼間は美容師をしている人らしく
そこでちょっと興味深い話を聞くことが出来た。

(1)リンス・イン・シャンプーは使わない方がいい
彼女が言うにはシャンプーというのは油分を洗い落とす効果があるもので
リンスはその逆に油分を補う効果があるものなのだそうだ。
つまり、リンス・イン・シャンプーと言うのは効果が矛盾した商品なわけで
その効果も結局中途半端になっているらしい。

(2)順番を間違えてはいけない
シャンプーの後にリンスをして、その後にトリートメントをする人がいるが
これは間違いなのだそうだ。リンスを先にやってしまうとその油分で髪の毛が
コーティングされてしまい、トリートメントの栄養成分が髪の毛の内部まで
行き渡らなくなってしまうため、「シャンプー」→「トリートメント」→「リンス」の
順番で行うのが正しいのだそうだ。

(3)頭皮に揉み込んではいけない
リンスやトリートメントを頭皮に揉み込むようにしてつける人がいるが
これも間違いなのだそうだ。これをやってしまうとかえって頭皮の毛穴を詰まらせ
ニキビなどの原因になることが多いのだそうだ。

(4)実はリンスはしなくてもいい
もともと頭皮からは自然な油分が出ているため、髪の毛がそれほど長くない人は
リンスをする必要はないのだそうだ。(女性の場合も肩までぐらいの髪なら使わなくてOK)

リンスを使わないとしばらくは髪がキシキシする場合があるが
これは頭皮ががサボっているためで、しばらく我慢していると正常な機能に戻り
自然な油分によって髪も潤うのだそうだ。
実際、その美容師さんもリンスは使わずその分良いシャンプーを使っているらしい。

(5)見分け方
良いシャンプーの見分け方は後ろの成分を見て、この成分が「なるべく少ない」ものを
選ぶといいのだそうだ。
多いものはそれだけアレルギーの原因となるものが多く含まれていて
少なければ少ないほど自然の成分なのだそうだ。

・・・美容法というのは人それぞれ主義主張があったりするので
ここに書かれていることが全ての人に向いているのかどうかはわからない。
あくまでも参考意見と言うことで・・・



2000年11月14日(火)『おばかさん』

実家の母親から妻に電話があった。
先週末帰省したときに、私が痩せていたので
きちんと体調管理してくれた妻にお礼を言いたかったとのこと

母「太っていた頃はぶくーっとしてて、おばかさんみたいな顔だったけど
おかげで今はずいぶんすっきりしたわ」

・・・実の息子つかまえて「おばかさん」はどうかと思う。



2000年11月20日(月)『喫煙マナー』

トイレで喫煙をしたことによって飛行機をUターンさせてしまった
会社員の話がニュースになっている。
・・・可愛そうに・・会社名までバラされてしまった。

どこの報道も「マナーを知らない日本人の起こした常識はずれな事件」という論調で
書かれているが果たして本当にそうだろうか?
「国際線の航空機内では全面禁煙の航空会社が一般的」という現実の方が
かえって「常識はずれな」ことではないだろうか?

今は禁煙しているが私は20年間ずっとタバコを吸ってきた。
だからこそ言うが国際線の10時間をタバコ無しで過ごすのはものすごくつらい。
たとえて言うなら
「口にガムテープを貼られ、鼻の穴も片方塞がれたままで10時間過ごせ!」
と命令されているようなものだ。タバコを吸ったことのない人はやってみるといい。
憂鬱で、息苦しくて、情けなくて、不安な気持ちになるはずだ。
こんな心理状態のままあの狭い空間に閉じこめられる身にもなって欲しい。

タバコが全く吸えないクセに機内誌にはタバコの宣伝があったり
実際に機内販売でタバコもライターも買えたりする。どうしろというのだ?

ところで全席禁煙の飛行機はパイロットもスチュワーデスも
本当にタバコを吸っていないのだろうか?
こっそり吸ってはいないのか? だとしたらその場所を喫煙所として開放したらどうだろうか?

とにかく! 飛行機の中でタバコを吸いたい人は確実にいて
タバコの煙が気にならない非喫煙者もいるわけだから
タバコの吸える国際線はあって当然だ。
麻薬のような非合法のものならともかく、どの国でも認められている嗜好品なのだから
たかだか1交通機関である飛行機会社の独断で禁止される筋合いはない。
飛行機嫌いの人の中にもタバコが吸えれば多少は我慢できるという人もいる。

タバコ=悪という「常識」を前提にした記事しか書かない記者もどうかと思う。
この人たちは全員、非喫煙者なのだろうか?
吸った人だけを責めるのではなく、もう少し喫煙者の立場に立った記事があっても
良いのではないだろうか?

禁酒法の元でギャングが勢力を伸ばしたという歴史がある。
今の極端なタバコ・パージも、何か歪んだ社会現象の原因になりそうで心配だ。



2000年11月25日(土)『禁煙2ヶ月目』

禁煙を初めてから2ヶ月が経った。自分でも良くここまで続いたなと思う。
今は『タバコをやめた』という感覚よりも『タバコから解放された』という感覚が強い。
しかし前の日記に書いた禁煙のご褒美・・つまり味覚が敏感になり食べ物が美味しく
感じられるようになるというのは、残念ながらまだ実感がない。

タバコといえばエア・ドゥが喫煙席を設ける方針を打ち出した。これが不評らしい。
禁煙医師連盟北海道支部は『道民の顔に泥を塗る行為。
導入されれば署名運動など様々な形で飛行中の喫煙の危険性を訴え
エア・ドゥが撤回するまで運動を続ける』と声明を出した。

タバコの害に関しては本職のお医者さんが言っているのだから間違いはないのだろう。
しかし、だからと言って『道民の顔に泥を塗る行為』とまで言い切ってしまうのはどうだろう。

エア・ドゥなどの航空会社が新規参入する前は運賃も高かった。
ただその分サービスも充実していた。離陸前にはおしぼりが出て
その後、飲み物と一緒にお茶菓子が出た。朝イチの便などはサンドイッチが出た。
週刊誌の種類も多く、その他のサービスも充実していたように思える。
そんな状況に『NO』と言って、サービスの簡略化と引き替えに値段を下げたのが
エア・ドゥだったのだと思う。しかしその後、他社もそれにならい価格引き下げ競争が始まった。
そうなると大手の方が有利だ。この状況で打ち出す『次の一手』として
私は今回の決断は非常にエア・ドゥ的で良いなと思っている。

これだけたくさんの航空会社があるのに、喫煙席のある国内便が全くない方が不自然であって
タバコが吸いたいという需要があるなら、企業としてそれに応えようと思うのは当然だと思う。
タバコが嫌いな人は別の航空会社を利用すればいいだけだし、エア・ドゥ側だってそれを
見込んだ上での決断なのだと思う。

成功するかどうかは別として、違う会社なのだから違うことをして欲しいと思うし
それを実践している会社を私は応援したいと思う。



2000年11月26日(日)『疲労コンパイル』

昼過ぎに目を覚ます。なんだか体がだるい。
昼食後すぐに昼寝。夕方まで眠る。
これだけ眠り続けたにもかかわらず体のだるさが取れない。
しかも頭痛がする。熱を計ってみると37.4度あった。
やばい。病気かもしれない。

夕食後すぐに眠る。普段はなかなか眠れないはずなのに
今日は幾らでも眠れそうだ。
ぐぅ・・



2000年11月27日(月)『病欠』

朝起きても熱が下がらないため会社を休むことにする。
この時点では「1日ぐらい休めば治るだろう・・」とタカを括っていた。
しかし熱は計るたびに上昇し夜には38.9度まで上がっていた。
とにかく汗をかけば治るはず・・と、毛布にくるまって眠る。・・・だるい・・頭痛い・・
たっぷりとかいた汗を拭いている時、妻が私の胸に赤い湿疹が出来ていることに気付く。
胸にぶつぶつ、腹にぷつぷつ、腕にもぽつん。足にもぷちぷち・・・
これは「やばい病気」かもしれない。
昼間たっぷり寝ているため、もう眠れない感じなのだが
かといって他のことをする気力がないため仕方なく眠る。
睡眠は浅い。午前2時に目を覚まし、眠っても午前3時には目を覚ましてしまう。
・・・ちゃんと眠って・・朝になれば病院に行ける・・
午前4時に目を覚まし、午前5時に目を覚まし、午前6時に目を覚まし、
・・・そして朝。



2000年11月28日(火)『水疱瘡』

朝、近所にある病院に行く。医者は私の胸を見ただけで
「あ・・水疱瘡ですね。」と言い切った。・・・水疱瘡・・子供の病気だ。
「大人になってからの水疱瘡は、症状が重くなることがあるので気をつけて下さい」
・・・どう気をつけたらいいのだろう? それとこの医者、問診の際
「大人になってからの水疱瘡は、症状が重くなることがある」と3回も言った。
きっとよっぽど重いのだろう。
太い注射を打たれ、その後飲み薬と塗り薬をどっさりともらって帰宅。

「うつる危険性があるので今週いっぱい会社に行ってはいけません」
そう言われたため会社に電話。メールだけは自宅に転送してもらうようにする。
この日も日中は眠って過ごす。
病気になると睡眠だけが時間を経過させる唯一の手段になってしまう。
そして夕食・・驚いたことに食欲がなくなっている。
食欲がないなんて、5年前「腸炎」になった時以来だ。
妻がリンゴをすり下ろしてくれたので半分食べ、また眠る。
起きてまた、すりリンゴを食べる。
独身でこんな病気になってたら大変だった。妻に感謝である。



2000年11月29日(水)『悪人顔』

朝起きてぎょっとする。顔がすごいことになっているのだ。
今まで身体にしかなかった水疱瘡がぼつぼつ、ぷつぷつと顔中に出来て
適切な例えかどうかはわからないが「ダースモールのような悪人顔」になっているのだ。
胸や腹の水疱もさらに増え、図鑑に出てくる毒キノコのような身体になっている。
そして、ものすごい痒みが襲ってきた。

かゆい痒いカユイかゆい痒いカユイかゆい痒いカユイ
かゆい痒いカユイかゆい痒いカユイかゆい痒いカユイ
かゆい痒いカユイかゆい痒いカユイかゆい痒いカユイ

熱がやや下がり、頭痛も収まってきてちょっと安心していたのに・・・
この「痒み」のせいで夜は全く眠れなかった。



2000年11月30日(木)『痒み』

この水疱瘡というのは厄介な病気だと思う。
この毒毒な身体を病院に預けて、自分は猫にでも乗り移っていたい。
本気でそんなことを考えてしまうくらいだ。
水疱は口の中にも出来ているらしく、食べ物を食べると妙にしみる。

熱があって頭が痛かった初期状態は、それでも眠れば時間が過ぎた。
しかし痒いとそれさえも妨げられてしまう。

・・・時々思うのだが病気って誰が考えたのだろう?
こう言うことを書いてしまうと、その病気で苦しんでいる人に対して申し訳ない感じもするが
世の中にある色んな種類の病気は、それぞれが個性的でドラマチックだ。
人間の身体がどうなったら悲惨かというのを考えに考え抜いて
様々なバリエーションを出している。
そして、そのバリエーションの中でも水疱瘡というのは悪質で陰険な部類だと思う。



2000年12月01日(金) 『かさぶた』

朝起きて鏡を見ると、顔にあった無数の水疱瘡に黒いかさぶたが出来ていた。
この状態は回復の傾向らしい。ただ、ビジュアル的にはよけい悪人顔になった気もする。
夜、眠れないくらいだった痒みも少しおさまった気がする。
ただこれは「デヴィ夫人が朝香光代になった」程度のパワーダウンであって
時々猛烈に痒くなることに変わりはない。
身体にあった水疱瘡も、かさぶた付きのものが増えてきた。
それを見た妻が嬉しそうに言う。
「ねぇ! 治ったらそのかさぶた、私にはがさせてね!」
・・・思い出した。妻はかさぶたマニアだったのだ。
かさぶたや日焼けした背中の皮などをはがすことに生き甲斐を感じるらしい。
・・・長いこと看病してくれたお礼です。いくらでもどうぞ。



2000年12月02日(土) 『満腹』

食欲も回復傾向。夕食は久しぶりに満腹感を味わえた。
痒みも薄らぎ、だんだん「普通」に戻りつつある。
そういえば夕べ「ベスト電器はなぜ躍進しているか?」
というテーマの夢を見た。主人公である私がライバル社の社員となり
ベスト電器躍進の秘密を掴むというドラマチックな夢で、夢を見ながらもう一人の自分が
「なるほど! そうだったのか! 病気が回復すると見る夢までレベルが違ってくるね!」
と、感心したところで目が覚めた。ただ内容に関しては全く憶えていない。
・・・ベスト電器の秘密・・いったい何だったのだろう?



2000年12月03日(日) 『サッカー三昧』

天皇杯、コンサドーレ札幌VS草津東高校の試合をテレビ観戦。
・・・ついに、あの男がやってくれた。
コンサドーレで唯一、世界を戦ってきた男。
元日本代表にしてアジアの大砲・高木琢也の初ゴール!!!
この際、相手が高校生だろうと無人のゴールにインサイドでころがした
「超ごっぁんゴール」だろうと関係ない。一点は一点だ。
コンサドーレの最終兵器、眠れる巨人がついに目覚めたのだ。
エメルソンの残留が絶望的らしいという暗いニュースを吹き飛ばすような明るい話題。
そう。21世紀のコンサドーレは高木琢也が背負って立つ!!
・・・と、盛り上げて書いてみたが・・この人、来年も残ってくれるのだろうか?
1点は決めたがその前には高校生に競り負けるシーンがあったり
決めて当然のシュートを2,3回は外していたし・・・
怪我さえ治れば、この人の実力はこんなもんじゃないと思っているだけに
次のサンガ戦ではぜひ大爆発して欲しい。

水疱瘡で休んでいた1週間、サッカーの試合だけはよく見ていた。
山瀬と藤ヶ谷が活躍していたU19中国戦とイラク戦。
ロベルトカルロスが素晴らしかったトヨタカップ。
小笠原の実力を再認識した鹿島VS横浜のチャンピオンズカップ。

火曜日に医者からもらった大量の薬を今日飲み切って
病気で弱っていた体も随分快復したように思える。
あとは「他人にうつるかどうか」だけが問題だ。
そのあたりを明日また病院に行って、相談してみることにする。
いいかげん仕事に復帰しないと「サッカー見るだけ親父」になってしまうのだ。



2000年12月04日(月) 『社会復帰』

朝イチで病院に行く。
医者「だいぶ良くなりましたね。」
私「はい。おかげさまで・・・ところでもう出社出来ますか?」
医者「他人にはうつらないので大丈夫です。ただ・・・」
私「ただ?」
医者「会社の人が驚くかもしれませんね。」

・・・驚かれる顔なのだろうか?
たしかにまだかさぶたが残っているため痛々しい感じではある。
ただ、これ以上仕事を遅らせるわけにはいかないので定時に出社。
みんなかさぶた顔を恐れずにいつも通り接してくれたので安心した。
ただ、予想はしていたが仕事は結構たまっている。
これは地道に片づけてゆくしかない。

家に帰るとショックなニュースが・・・
高木琢也、引退。
昨日あれだけ持ち上げたのに、あっさり結論が出てしまった。
カズだって中山だって実績を出しているのだから
高木だってまだまだやれると、結構本気で思っていただけに残念だ。



2000年12月06日(水) 『年内』

『年内』という言葉はマジックワードのひとつだと思う。
試しにこう言ってみると良い

「わかりました。年内に何とかします。」

・・・本当に何とかなりそうな気がしてくるのは私だけだろうか?
しかし、それは錯覚だ。
12月は忘年会やクリスマス、冬休みなどの行事が多く
通常の月の8割ぐらいの効率でしか仕事が出来ないと思った方がいい。
その他にも、年末調整やら年賀状やら大掃除やら帰省やら・・・と、いろいろ沢山、目白押しだ。
しかも私は水疱瘡でその貴重な『年内』のうちの一週間を棒に振っているのだ。

『年内』という期限は無限じゃないのに、
明日もあさっても10日後も、まだまだ『年内』なため感覚がマヒしている。
『年内』に過度な期待をしすぎている。

*と、ここで電話

「あ・・はい。いつもお世話になっております。
え? 資料? あれだけでは不充分。
えーーっと・・・はい。わかりました。年内に何とかします。」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ふぅ・・・



2000年12月07日(木) 『ケーシー』

水疱瘡のかさぶたが、だいぶ取れて来た。
・・・と言うより気になって、つい取ってしまうと言った方が正確かもしれない。

妻「かさぶた、無理に取ると跡が残っちゃうよ」
私「ケーシー高峰みたいな顔になっちゃうかな?」
妻「そこまではひどくならないと思うけど・・・」
私「でもケーシー高峰も災難だよね。死んだ後になっても
『でこぼこの顔』の代表呼ばわりされちゃうんだから・・・」
妻「え? ケーシー高峰さんって亡くなったの?」
私「だいぶ前に死んでるじゃない? 確か私が大学生の頃・・・」
妻「そんなことないよ。ちょっと前、『お宅拝見』で見たもん。」
私「え? そう? それじゃ私の勘違いかな・・」

・・・ごめんなさい。調べたらちゃんと生きてました。
三波伸介さんとかレオナルド熊さんとか、高峰三枝子さんとか・・・
そう言う亡くなったいろんな方と混同していたようです。

『ちょっとテレビで見ないからって命の価値を軽く見て
勝手に死んだと決めつける。これをケー死と呼ぶ。』

・・・確かこんな芸風だった・・・ような気がする。



2000年12月08日(金) 『かさびた』

今日、妻が『かさぶた』を『かさびた』と言っていることに気付いた。
今までずっと気付かないでいたのが不思議なくらいだが
私の中で勝手に『かさぶた』と自動変換して理解していたらしい。
そう言えば『寄りかかる』を『よしかかる』とも言っていた。
・・・これらは方言なのだろうか?

よく、『北海道人は方言が少ない』と言い張っている人がいるが
そんなことはない。
方言を方言と認識していない人が多いだけのことだ。



2001年3月27日(火)『欠陥』

私は数字が覚えられない。
自分の携帯の電話番号は当然覚えていないし
会社の電話番号も覚えられない。
自宅の郵便番号も7桁になってから怪しい。
車のナンバーは3年乗ってようやく憶えた。
(と言っても4桁の数字なので自慢にならないが・・)

掛け算九九を憶えたのもクラスで最後の方だった。
(実は未だに7×9とか6×3あたりは自信がない。)
暗算なんて最初からあきらめているし
電卓を使ってもよく計算を間違える。
人としてどこかに欠陥があるのではないかと
不安になるくらい数字に弱いのだ。

数字だけではない。右と左がすぐに認識出来ない。
車を運転していて「そこの角を右!」と急に言われると
たいていは逆の方向に曲がってしまうのだ。

人の顔と名前もなかなか一致しない。
顔は憶えていても名前が出てこなかったり
憶えてもすぐに忘れてしまう傾向がある。

?「よっ! ひさしぶり!! 元気!!」
私「あ・・はい。まぁ・・」
?「会社移ったんだって? どうよ?
私「ええ。もう、おかげさまで・・」

曖昧な返答しか出来ないでいると、相手が明らかに戸惑い始める。
しかし焦れば焦るほど、その人の名前を思い出せない。

?「えっと・・奥さんは元気ですか?」
やがてさっきまでのなれなれしい口調が急に冷たくなる。

私「はい。げ・・元気です。」
?「・・・・・・・・・・」
私「・・・・・・・・・・」
気まずい沈黙の後・・
?「それじゃ私 用事があるんで・・」
と、怒った顔で立ち去ってしまう。大変失礼なことなので何とかしたいのだが
どうしても憶えられないし、思い出せないのだ。

・・・やっぱりどこかに欠陥があるのだろうか?



2001年7月13日(金)『煙草』

「まいったなぁ・・」
そう呟きながら煙草に火を付ける。

ふぅっと煙を吐いた後、急に思い出した。
ずっと禁煙してた筈だったのに・・何で吸ってしまったんだろう?

見ると右手には100円ライター、左手にはマイルドセブンの箱・・
いつの間に買ったんだろう?

(まぁいいや! 一口吸ってしまったら、二口吸うのも一緒だ!)
そう思って吸い続ける。
ちょっとだけ咳込むが、すぐに慣れた。

(まぁいいや! 一本吸ってしまったら、二本吸うのも一緒だ!)
そう思ってまた、次の煙草に火を付ける。
久し振りのニコチンに、頭がクラクラする。

(せっかく禁煙したのに・・あの時の苦労は全部、台無しになっちゃうのか・・)
と、ちょっと後悔もしたが
(15年以上もタバコを吸い続けていた奴が、何を今さら禁煙なんてしてたんだ!
台無しになったんじゃなくて本来の状態に戻っただけだ。)
と、すぐに気休めの言葉が浮かんでくる。

多分これからずっと、吸い続けることになるんだろうなぁ・・・
と、そう思ったところで目が覚めた。良かった! 夢オチだった。
でもやたらリアルな夢だった。

・・禁煙を始めてから、もうすぐ300日になる。



2001年8月1日(水) 『禁煙ガム』

9月から一般の薬局でも禁煙ガムが買えるようになるらしい。
このガムは1個につき2ミリグラムのニコチンが含まれていて
禁煙をしている人がニコチンの禁断症状を抑えるために噛むガムだ。
これまでは医師に相談しないと買えなかったのだ。

これがもう1年早く出ていれば、禁煙であんなに苦しい思いをしなくてすんだのかも
しれないとちょっと悔しい気もするが、今さらそんなことを言っても仕方がない。
また吸ってしまい禁煙をやり直すことがあったら活用することにしよう。

この禁煙ガム、禁煙に使うだけではなく、煙草が吸えない場所や状況で
噛むのも良いかもしれない。同じニコチン摂取でもガムなら煙が出ないから
周囲の人に気を使う必要もない。
・・あと、噛みながらタバコ吸ったらどんな感じなのかも知りたい気がする。

値段は48個入りでで3950円(1個当たり82円)。
毎日の煙草代を考えると、これで楽に煙草をやめられるなら安いものかもしれないが
煙草への依存症が消える代わりにニコチンガムが手放せなくなるようなことは
ないのだろうか?
その場合、禁煙ガムの禁断症状をやわらげる『禁・禁煙ガム・ガム』なんて言う
ややこしいものが出たりしないのだろうか?
なんか前に流行った『買ってはいけないは買ってはいけない』と言う本を思い出した。

禁煙ガム「ニコレット」は9月10日に武田薬品工業から発売予定だ。



2001年8月19日(日)『夏の終わり』

夏休みが終わって残ったもの・・
たくさんの楽しい思い出と、何枚かの写真と
そして・・・腹のまわりの贅肉。

白状します。
体重が70キロになってしまいました。
去年の10月末に65キロまで下がった体重が
トルコ旅行の後に68キロぐらいまで増え・・
さらにこの夏休み、気が付いた時には2キロ増えていました。
本気と書いてマジと読むくらいヤバイ状況です。

太った原因は自分でもよくわかっています。
まずは運動不足。会社のある時は往復で1時間ぐらい歩いていたのに
休みになってゴロゴロと惰眠を貪っていました。

そして、カロリーオーバー。
あまり人のせいにはしたくないですが、実家のお義母さんに
「お代わりは良い?」と聞かれて、つい断り切れずに
「それじゃ、ちょっとだけ・・」と答えてしまう気の弱さも原因の一つです。
こういう時って絶対にちょっとじゃないんです。

この場合「それじゃ、半分だけ・・」と言っても
やはり山盛りになったご飯が出てきます。
いえ、人のせいにしてはいけません。断れば良いんです。
でも昔から私の中に『たくさん食べるのが良い息子』というイメージがあって
どうしてもその期待に応えてしまうと言うか・・・

あとは炭火焼きのバーベキューとか、友人宅でお呼ばれとか
夏ならではの美味しいイベントがたくさんあって
そこでもついつい食べ過ぎてしまったりして・・・

と言うことで、私はここでもう一度ダイエット宣言をします。
冬になる前に、絶対に65キロ代に戻します!!



2001年9月25日(火)『禁煙一周年』

煙草をやめてから1年が経った。自分でもよく続いたもんだなと思う。
ただ苦しかったのは最初だけで、今はもうほとんど吸いたい気持ちにはならない。
ごくたまに重苦しい会議などで昔の習慣を思い出し、ちょっと吸いたくなるくらいだ。
せっかくだからこのまま2年、3年と続けて行こうと思う。

煙草をやめたすぐ後、取引先の会社が全フロア禁煙になったりして
私の周囲にも禁煙化の波が広がっている。(それが良いことか悪いことかは別にして・・)
そんな中、煙草を吸わない自分がかなり『便利』であることは確かだ。
禁煙のオフィスでもイライラしないで済むし、煙草の煙が苦手な人たちにも
気を使わないで済むし、出張などの移動中に喫煙所でニコチン補給することもなくなった。
金銭的・・にはtotoの出費があるのでトントンぐらいかもしれないが
朝起きた時の喉のいがらっぽい感じなどもなくなり体調も良い。

吸っていた頃の私は、他人にどんなに勧められても忠告されても警告されても
煙草をやめようとは思わなかったので、今吸っている人たちに対して
どうこう言うつもりはないが、やめるとかなり便利になるし気楽になる。
これだけは身をもって実感したことだ。



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