○URGUP EVI

ここのところ早起きが続いていたので、今朝はゆっくりと目を覚ます。
カッパドキア3日目、今日は夕方の6時30分に空港へのピックアップがある。
それまではずっとフリータイムだ。

○ウルギュップ
朝食後ホテルを出て、付近をゆっくりと散歩する。
古い石造りの家が建ち並び、なかなか趣のある街だ。
歩いていると野良犬が寄ってきた。・・ごめん。食べ物は何も持ってないよ。

さらに歩く。このあたりには学校があるらしく、時々小学生らしき子供が話し掛けてくる。
習い立ての英語を試したいのかもしれない。

「はろー! まいねーむ・いず・・・」

握手の時に差し出された小さな手はコロンヤの匂いがした。

「教会を見たくないですか?」
しばらく歩いていると、太ったおばさんが片言の英語で話し掛けてきた。
「このすぐ近く、教会があります。とても良い景色です」
見るとおばさんは小さな男の子の手を握っている。
「はろー!」
ちょっとはにかみながら挨拶をした男の子の表情を見て警戒を解いたらしい妻が
(行ってみようよ)と目で合図する。

うーん。なんだかヤバそうな気もするけど・・あんまり人を疑うのも悪いし
まぁ現地の人たちと触れ合う良いチャンスかもしれないな・・
私もそう思って付いて行くことにする。

○ウルギュップの教会

おばさんが案内してくれた教会は石をくりぬいて作られた民家の2階にあった。
と言うかこのおばさん、自分の家の2階を見せてくれたのだった。

おばさん「ここでお茶を飲んでください。どうぞどうぞ。靴はそのままで良いです」

と、ソファに座りチャイをごちそうになった。なんだかすごく親切だ。

おばさん「私には5人の子供がいます。この子は一番下の子で名前はムスタファ。
上の子は今みんな『スクォール』です」
私「スコール(嵐)?」
おばさん「ノウ、スクォールです!」

そう言いながらおばさんは右手で書くマネをする。

私「スクロール(巻物)?」
おばさん「ちがいます、ス・クォール!」

さらに書く手真似。

私「わかった! スクールだ!」
おばさん「イエス、イエス、スクォールです!」

などと連想ゲームのような会話をしていると、おばさんは急に立ち上がり
妻にスカーフを見せた。

おばさん「あなたはこれ、気に入りましたか?」

そう言って妻の頭にスカーフを巻き、鏡を見せる。

おばさん「すごく似合います。素晴らしいです」

妻(え? ・・何なの?)

『地元の人との触れ合い』だったはずが、『単なる物売り』だと言うことに気付き
妻はちょっとショックを受けているようだった。

私「で、いくらなんですか?」
おばさん「500万トルコリラです」

私「日本円で500円ぐらいだね。お茶代だと思えば安いもんじゃない?」
妻「・・・うん、まぁそうだけど・・」

理由のわからない親切よりも、『商売』の方がずっと安心だ。
そう思ってしまう私はひねくれているのだろうか?

○ウルギュップ
おばさんたちと別れ市街地へ行く。
ここにあるバイク屋で、ヨコハマ君の真似をしてスクーターを借りることにした。
しかしこれは無謀だった。前にも書いたが我々は運転どころかスクーターに触った
ことすらない超初心者なのだ。

しかしどんな初心者でもお金と保証のためのパスポートさえ出せば
日本では運転出来ない排気量250ccのスクーターを借りられる。
・・法律的にはどうなっているのだろうか?

疑問に思っていると店のオヤジが「ヘルメットは付けるか?」と聞いてくる。
それ以前に、付けないで運転しても良いのだろうか?
もちろん借りることにした。

こうして私の運転する『おっかな号』と妻の運転する『びっくり号』は
近くにある街『ギョレメ』へ向けてノロノロと走り出した。

○ウルギュップ→ギョレメ
いくら初心者でも乗っているうちにそれなりに慣れてくる。
10分も運転していると私もそれなりに楽しくなってきた。
車と違って自分たちと景色を遮るものが何も無い。

風を切ってどんどん道を創ってゆく気分・・
これは運転手付きのツアーでは味わえない感覚だ。
目の前の視界がぱっと開けてウチヒサールの街が見えた時などは特に感動的だった。

ただこの日はちょっと寒かった。いや、ちょっとどころではない。
それなりに着込んでいたはずなのに運転しながら震えるくらい寒かった。
この季節はどうも晴れた日と曇りの日の気温差が激しいようだ。

○ギョレメ
ギョレメの街に着く頃には我々の運転も『普通に下手』なレベルまで到達していたと思う。
この街はツアーで何度か通り過ぎたが、ちゃんと見て回るのは初めてだった。
ウルギュップよりも小さい街だが、その分店員の呼び込みがしつこくないので
落ち着いて歩くことが出来る。ここでスクーターを止めて昼食へ・・

○ギョレメ/セデフ
昼食はセデフと言うレストラン。ここでシシケバブなどを食べる。
これもおいしい。特にこの店はパンがおいしかった。
旅をして実感したのだがトルコの料理はどこに行っても何を食べてもおいしい。
しかも値段も日本と比べて半額から4分の1ぐらいですんでしまう。
安いのでついたくさん頼んでしまい、おいしいので残さずに全部食べる。
そして食後に砂糖のたっぷりと入ったチャイかトルココーヒー、さらに激甘デザート・・

断言する。この国にいたら絶対にデブになる。
実際、現地のおじさんやおばさんには太った人が多い。
せっかくダイエットに成功したのに、このままでは逆戻りだ。

それと、この国は煙草に対して寛容な人が多いようだ。
むしろ自分の煙草を勧めるのがマナーになっているのかもしれない。
これも禁煙に成功したばかりの私にとってはちょっと残念なことだった。

○ギョレメ
食後、スクーターでギョレメの街を走る。街の奥は急な坂が多く歩いて見て回るには
大変な感じだ。やっぱりスクーターを借りて良かった。
写真を撮るため一休みし、そろそろウルギュップへ戻ろうとスクーターのハンドルに
手を掛けた時、事故は起こった。

ぎゅるるるるる!!!!

停車していたスクーターのバランスを立て直そうとハンドルを握った私は
その時、右手で強くアクセルを捻ってしまったのだ。
当然、スクーターの前輪は私の意図に反して勢いよく回り出す。
スクーターはウィリー状態になり、私を引きずったまま石の壁に激突した。

がしゃーん!!

怪我は無かったのだが、スクーターのカウルに大きなヒビが入ってしまった。
・・やばい。弁償だ。いくらぐらいかかるのだろう?

私の焦りが伝染したのだろうか? それから5メートルも離れていない下り坂で
妻の運転する『ビックリ号』が転倒した。妻は頭から落下・・石畳に頭を打ち付けた。

私 「だっ! 大丈夫?」
妻 「うん。大丈夫!」

幸いにも怪我はしていないようだった。
しかし、もしあの時ヘルメットを借りていなかったら・・・そう考えるとゾッとする。

カッパドキアは観光の拠点が離れていて坂道も多いため、フリーで観光するには
スクーターが最適だと思う。しかし、借りる場合は日本できちんと練習してきた方が良い。
我々はそのことを身を持って体験した。怪我をしたり、あるいは誰かに怪我をさせたり
何かを壊してしまったりしたらシャレにならないのだ。

その後、妻のスクーターを調べてみたがこちらは傷一つ付いていなかった。
凄いラッキーだ。それからはさらに慎重に走り、なんとかウルギュップに戻った。

○ウルギュップ/バイク屋
バイク屋に戻ると流暢な日本語を話すスタッフがいた。
事故の状況などを英語で話すのはちょっとややこしいと思っていたのですごく助かった。
で、問題のスクータを弁償する代金だが修理屋からのFAXが来ないとわからないらしい。

「FAXを待っている間、私の友達が勤めている絨毯屋に行きませんか?」

なぜトルコの人はみんな、こんなにも絨毯屋を案内したがるのだろう?
そうも思ったが、だからと言って特にすることもないし
妻が興味を持っているようだったので付いて行くことにする。

○カーペドキア
車に乗って10分ぐらいでカーペドキアと言う絨毯屋に着く。
カッパドキアとカーペッドを合わせた造語らしい。
よく見たらギョレメへ行く途中、スクーターで通り過ぎた店だ。
ここでもスタッフが日本語で絨毯について説明してくれる。
ただこの時点で時計の針はもう6時を回っていた。

私 「あの・・あんまり時間がないんですけど!」

事故の反省と修理代がいくらになるかわからない不安と
ピックアップまであと30分しかない焦りが顔や口調に出ていたのだと思う。
係りのおじさんの説明は急に早口になった。
声のトーンも上がり、身振りもきびきびと動き・・まるでビデオテープを倍速で
見ているかのようだった。・・すごい芸だ。

ただ、そんな説明では絨毯が欲しくなるはずもなく(見ている分には充分面白かったが)
結局、何も買わないままバイク屋まで戻ることになった。
(と言うか、修理代がいくらになるかわからない時点で買い物どころではない。)

○ウルギュップ/バイク屋
バイク屋に戻るとFAXが届いていた。
気になる修理代は・・・265ドイツマルク!!

・・・なぜそこでドイツマルクが出てくるのだろう?
結局、いくらなのかわからない
お店の人が電卓を叩いて米ドルに換算してくれる。

ちょうど100ドルだった。(ドイツマルクの金額はうろ覚えです。)
かなり痛い出費だが、逆にこれくらいで済んでラッキーだったのかもしれない。

○ウルギュップ→カイセリ
なんとか6時半のピックアップに間に合い、ローズツアーの車でカイセリ空港へ・・
車の中、ふと気付くとずっと手首に巻いていたはずのお守りが無くなっていた。
カッパドキア二日目、案内してくれたお礼にパジャバーで買ったあの安いアクセサリーだ。

私 「ひょっとしたらあのお守りが、我々の身代わりになってくれたのかもね」

と、私が綺麗に話をまとめようとしたのに

妻 「付け方が悪かったんじゃない?」

と、妻は身も蓋もない言い方をした。

その直後、車が見晴らしの良い丘で止まる。
見ると空には美しい夕焼けが広がっていた。
・・カッパドキアの自然は、最後まで我々を楽しませてくれる。


○カイセリ空港
夜8時頃、カイセリ空港に到着。飛行機の時間まで2時間以上ある。
空港内はカフェテリアが一軒あるだけなのでそこでお茶を飲むことにした。

しばらく休んでいると痩せたトルコ人の少年が現れ、こちらをじろじろと見ながら
通り過ぎって行った。いや、良く見るとカフェテリアの周囲を何度も何度も往復している。

妻 「あの子、何やってるの?」
私 「さぁ・・よくわかんないけど荷物とか気を付けた方が良いかもね」

少年の手には古ぼけたサンダル・・あれを売ろうとしているのだろうか?
すると、一人の紳士が少年に声を掛けた。紳士は少年にお金を渡し、サンダルを履く。
ピシッとしたスーツとサンダルがやけにミスマッチだった。

それから20分ぐらい後、少年がピカピカの靴を持って戻ってきた。
あっ! 靴磨きだったんだ。ようやく私は納得した。サンダルは少年が靴を磨いている
間にお客さんが履くためのものだったのだ。
そのことを妻に話す。すると妻の目からポロリと涙がこぼれた。

妻 「だからあの子・・手が真っ黒だったんだね。疑っちゃって・・すごく悪いことしたよね」
私 「・・・うん」

確かに我々は警戒しすぎていたのかもしれない。
親切に教会を案内してくれたはずのおばさんが、実は物売りだったり
日本語の上手なバイク屋の店員さんが、やたら絨毯屋を案内したがったり・・
そんな人たちと接していたせいで、この国の人たちに対して変な先入観を持ってしまっていた。

・・・こんな事ではいけないと思う。
ふと見ると我々の靴も、カッパドキアの乾いた土で真っ白に汚れていた。

私 「靴磨き、頼もうか?」
妻 「うん!」

私は少年を呼び止め、声を掛ける。

私 「シュー・シャイン プリーズ?(靴磨きしてくれる?)」
少年 「・・・・・・?」

・・通じないようだ。困っているとカフェテリアのウエイトレスさんが近寄ってきて
トルコ語に通訳してくれた。金額を聞くと80円ぐらいだそうだ。
日本では考えられないくらい安い。私と妻と、二人分の靴を頼んだ。

靴磨きを待っている間、ふと思いついたことがあった。
あの子にトルコ語で『ありがとう』と言いたい。
そう思って慌てて『地球の歩き方』のページをめくる・・
トルコ語の『ありがとう』は何度聞いても憶えられないくらい長いのだ。

えーっと・・あ、あった! 『テシェ・キュレデリム』だ!
しかしこの言葉を言う前に、少年は妻に靴を手渡して立ち去って行ってしまった。

○トルコ航空(カイセリ発/イスタンブール行)
イスタンブールへと向かう飛行機の中・・
窓の外を眺めながら、私は行き場を無くした『ありがとう』を呟いてみた。
「テシェ・キュレデリム」

少年の働いているカイセリ空港の灯りがどんどん小さくなって行く・・
ピカピカになった靴・・大事に履かなくっちゃ。

○SULTAN AHMET SARAYI
空港からタクシーでSULTAN AHMET SARAYIへ・・
ここはOL-HAN Tourのスタッフお勧めの宿だ。なかなか予約が取れないくらい人気らしい。
豪華なエントランスを抜け部屋に入る。ハマム付きの綺麗な部屋だ。
速攻で荷物をほどき、それから泥のように眠った。

(続く・・)