○SULTAN AHMET SARAYI

楽しかった旅行もあと2日・・明日の昼にイスタンブールを発つので
正確にはあと1日半で終わってしまう。ホテルで朝食を済ませ、外に出る。
今日もいい天気だ。

ホテルの食堂

ホテルのエントランス


○ブルー・モスク
ブルー・モスクは旧市街一の観光名所だ。ホテルのすぐ裏にあるため
ついつい後回しにしてきたが、さすがに今日ここを見逃すわけにはいかない。
さっそく中へと入ってみる。

モスクの内部はその名の通り、ブルーのタイルで覆われていた。
足元には幾何学的な模様の絨毯・・荘厳な雰囲気だ。
ここは17世紀に建造されて以来、今でもイスラム教のモスクとして使われている。
遺跡であり観光地であり、人々の祈りの場でもあるのだ。

ブルーモスクを見学している途中、猫の親子を見つけた。この街は本当に猫が多い。


○エジプシャン・バザール
その後、トラムに乗りエミノニュで降りる。ここから歩いてすぐの場所に
エジプシャン・バザールがあった。

別名スパイスバザールと言われる通り、様々なスパイス屋が並んでいる。
その他の店は観光客向けのおみやげ屋が半分、地元の人向けの生活雑貨が
半分という感じだろうか? なかなか活気があって楽しい。
イスタンブール初日に見たグランド・バザールよりも客引きが露骨ではないので
ゆっくりと見ることが出来た。
ただ、今ここで色々買い込んでも荷物になるだけなので
明日の最終日にもう一度来ることにする。

○定期連絡船
エミノニュから定期連絡船に乗り、ユスキュダルへ・・
旧市街からボスフォラス海峡を挟んだ対岸はアジア街と呼ばれていて
ユスキュダルはその中心都市なのだそうだ。

○ユスキュダル/インジ
ユスキュダルはシーフードで有名と聞き、インジと言うレストランへと向かう。
新市街にある激甘シュークリーム屋さんと同じ名前だが違う店らしい。
波止場から歩いて行ったのだが・・なかなか到着しない。
ガイドブックの地図もアバウトなため、自分たちが今正しい道を歩いているのかすら
わからず不安になる。二人もすっかり無口になった頃、ようやく店の看板が見えた。
(タクシーを使った方が無難です。)

前菜はムール貝のフライ。ニンニク風味のヨーグルトソースと良く合い、とても
おいしかった。そしてメインに出てきた魚・・これはどこかで見た記憶がある。

妻 「これってあれだよね。チチェキパサ−ジュで見た・・」
私 「あっ! あのヒラメみたいな巨大魚?」

デコボコとした肌のちょっとグロテスクな魚KALKANはとてもアッサリとした
上品な味の白身魚だった。

○チャムルジャの丘
レストランの前でタクシーを拾いチャムルジャの丘へ・・
ここはベキル君お勧めの観光ポイントだ。
丘の上からイスタンブールの町並みが一望出来る。

地元の人らしき家族連れがお弁当を広げていたりして、とてものどかな雰囲気だ。
露店があったので、ここでギョズレメを食べる。カッテージチーズの入った
甘くないクレープ風のおやき・・と言う感じで、これが結構おいしい。
ついさっきシーフードレストランでお腹一杯食べたはずなのにぺろりと平らげてしまった。
公園をしばらく散策した後、タクシーでオルタキョイへ・・

○オルタキョイ
オルタキョイは若者の街として有名なのだそうだ。確かにお洒落な店がたくさん
並んでいる感じだ。食器やガラス小物などを見る。気に入ったものもあるが
日本に持ち帰ることを考えると、ちょっと躊躇してしまう。

途中、マドと言うドンドルマ屋で休憩。ここで私は胸腺のプリンを頼んだ。
ミルクプリンの中に鳥の胸腺が入っていると言う一歩間違えるとゲテモノのような
組み合わせだ。これもトルコでは有名なデザートなのだそうだ。

で、気になるその味は・・・
ちょっと前に私は、『トルコ料理はどこで何を食べてもおいしい』と書いたが
物事は何にでも例外があるようだ。これもまずいわけではない。

ただ無理に胸腺を入れる必要があるのかと疑問に思えてしまう味と食感なのだ。
個人的な好き嫌いもあるので一概には言えないが、プリン系に関しては日本のものの方が
ずっとおいしいと個人的にはそう思った。

ただ、このお店の名誉のためにフォローしておくと・・
私の頼んだ胸腺のプリンはちょっと口に合わない感じだったが、妻の頼んだドンドルマは
とてもおいしかった。しかし、おいしかったがあまり伸びない。
アイスを伸ばす成分が実は味を落としているのではないかと妻と話し合った。

○オルタキョイ/ハザル
胸腺のプリンでトルコ料理の奥深さを思い知った後、ハザルと言うキリムの店に入る。
店主のENGINさんがやって来て熱心に説明をしてくれた。

ENGINさん 「日本にトヨタや三菱があるように、アメリカにフォードやGMがあるように・・
キリムはトルコが世界に誇るべき、素晴らしい文化なのです。
しかし、非常に残念なことに世界中に出回っているキリムのうち98%はイラン製なのです。
そしてイラン製のキリムはそのほとんどが大量生産された工業品です。
トルコ製のキリムですら輸出しているものは工業品です。
自然素材を使った、伝統的な、本物のキリムを手に入れるためにはトルコに来るしかないのです。
しかしトルコにある一部の絨毯屋は、売り方が強引であったり新しいキリムをわざと雨ざらしにして
オールドキリムと偽るなど憂慮すべき問題を抱えています。」

ENGINさんの喋る英語を私が日本語に通訳して妻に伝える。

ENGINさん「我々はあなたを騙してリッチになるつもりはありません。
あなたが日本に帰って、より多くの人たちにキリムの良さを伝えてくれたら・・
この店のことを伝えてくれたら・・それこそが我々の財産となるのです。」

ENGINさんの熱意が私にも伝染したようだ。
気が付くと私はトルシエ監督の通訳、フローラン・ダバディー君みたいに
大げさな身振りで熱のこもったトークをしていた。

私 「いいですか! キリムの値段は大きさとは全く関係ありません!
希少性とオリジナリティ、そして保存状態! この3つが値段を決めているのです!!」

妻が言うには、このお店のキリムはどれもセンスが良く、出来ればお店ごと
買い占めたいくらい気に入ったのだそうだ。もちろんそんなわけにはいかないので
クッション用の小さいヤツを買って帰ることにした。

○SULTAN AHMET SARAYI
タクシーでホテルに戻る頃には、あたりは既に暗くなっていた。
イスタンブール最後の夜だ。やり残したことは・・・

やはりトルコに来たらハマムに行かなくてはならない。
ハマムというのはいわゆるトルコ風呂だ。トルコ風呂と言ってもエッチな場所ではない。
基本的に男性客には男性が、女性客には女性が体を洗ってくれる健全な公衆浴場なのだ。
妻をホテルの部屋に残し、一人でハマムへ・・

○ハマム
ホテルから歩いてハマムへ行く。看板がないのでちょっと迷った。
受付でお金を払うと番号札の付いた個室の鍵を渡される。それを持って2階へ・・
そこで同じ番号の個室に入って服を脱ぎ、腰巻きを巻いて準備完了だ。
鍵を閉めて1階にあるハマム入口へ戻る。

ハマムの内部は広いドームのようになっていた。
その中央には石で出来た大きな円形の台があり、そこにたくさんの裸の(もちろん
腰巻きを付けている)男たちが寝そべっている。

そこに座って待っていると、胸毛の濃いがっちりとした大男が現れ
「台の奥で寝ろ!」と私の体をずりずりと引っ張る。
私が台の上に仰向けになったことを確認すると大男は「そこで待て!」と
身振りをしてどこかへ消えて行った。

・・・長い沈黙。日本のサウナほど高温ではないのだが、それでもじっとりと汗が出る。
それを待っていたかのように男が現れ、再び私の体をずりずりと引っ張り始める。
大男の手には巨大な石けんの泡。それを私の体につけ、ごしごしと洗い出す。
ぐぎっ!! ・・痛い!! ちょっとそれ・・強引・・
時々マッサージのように強く揉んだり、引っ張ったりする。
方から腕、背中、足・・基本的に腰巻きに覆われたエリアは洗わないようなので一安心だ。

ある程度洗い終わると大男が石けんを指さして

大男 「トルキッシュ! シャボン! ・・ジャポネ?」

と聞いてきた。恐らく日本語で何と言うか聞いているのだろう。そう思って
「せっけん!」と言ってみた。すると大男は「オゥ! セッケン!」と笑顔になった。

それから私の日本語講座が始まった。
腕、足、頭・・大男は私の色々な部分を指さし、日本語で何と言うのか聞いてくる。
しかし彼が垢すりの道具を指さした時、とっさにその名前が出てこなかった。

私 「えーと・・なんだっけ?」
大男 「オゥ! なんだっけ!」

と、大男は妙に納得した笑顔で復唱した。・・このオヤジ、絶対に誤解している。
そう思ったが私の語学力では彼の誤解を解くことは出来なかった。
もし今後、スルタンアフメット地区のハマムで垢すりの道具が『なんだっけ』と
呼ばれていたとしたら、それは私のせいだ。

その後、別の場所で頭を洗われ、ぐぎぐぎっと首の骨を鳴らされ
私のハマム体験は無事終了した。

○スルタンアフメット・キョフテジスィ
ホテルに戻り、妻と夕食について話し合う。
最後の夜だから豪華な食事にしようかとも思ったのだが、結局『もう一度行きたいお店』
と言うことで、スルタンアフメット・キョフテジスィに決めた。
・・・やっぱり何度食べてもおいしい。

食事を終えてホテルまで歩く。
ライトアップされたモスクがおとぎの国みたいに見えた。

(続く・・)